「思考」とは読んで字のごとく「考えること」です。
私たちは1日に5万回~10万回思考すると言われています。
そのすべての「思考」に気づいたり、その考えを1つずつ記録してファイリングすることは、おそらく不可能でしょう。
自分の頭に浮かぶたくさんの「思考」には、楽しくなる「思考」もあれば悲しくなる「思考」もあります。
驚くこともあれば、予測できることもあるでしょう。
「こうすればうまくいく」、と浮かぶこともあれば、「こうしてもうまくいくはずがない」、と浮かぶこともあるでしょう。
このたくさんの「思考」の波はすべて私たちが実際に考えていることなのでしょうか?
何か新しいアイデアなどを考えているのでしょうか?
いいえ、実際には。
私たちは過去でおこった記憶をさかのぼって、その出来事をくりかえし思いだしていることが非常に多いのです。
「今日のランチは美味しかったけど、量が多かったなあ、ダイエット中だけどまた太っちゃうなぁ。」とか
「朝、お母さんに怒られたけど、私のせいじゃないのになぁ、何で私のせいにするの?」など、
くりかえしの「思考」はたくさんありますが、これらのほとんどは時間の浪費なのです。
演奏について考えるときも同じです。
一定のテンポを感じるときに「昨日このくらいのテンポだったかなぁ」と思いだしていませんか?
弾いているとき、「もうすぐ苦手な場所だなぁ、昨日も弾けなかったけど、今日は弾けるかなぁ」などと考えていると、それは昨日の記憶をくりかえして思い出すだけの「思考」になってしまいます。
「演奏する」ことは、絵画などの他の芸術に比べて特殊なものです。
絵画であれば、一度描きあげてしまえば、その絵は100年後にも人を感動させることができます。
しかし、演奏の場合そうはいきません。(動画や録音はさしおいて)
生の演奏は、「今」という瞬間の連続なのです。
常に、「今」が連続しているため、私たちは過去の思い出に浸ることなく「今」演奏することに対して常に考えつづけなければなりません。
「次の音の準備は?」
「もっと柔らかい音にしよう」「跳躍するからさらに落ち着いて急がずに」
「ここからは拍子をさらにしっかりと感じよう」
「いい音色で弾けている、この調子で」など。
この「今」演奏していること、について思考できているとき、私たちは最高の結果を残す行動を起こしていることになるのです。
そして、「今」考えていること、すなわち「思考」が正しいかどうか、感情「楽しい感情」が教えてくれるのです。
(「楽しい感情」とは先程の基本感情でいう「恍惚」「喜び」「安らぎ」です。)
つまり、「思考」を上手に選ぶことで「楽しい感情」は演奏前から演奏後までもち続けることができるというわけです。
一方、私たちは恐竜のような爬虫類のころからDNAにたくわえてきた、生きのびるための知恵をもっています。
それは、まず安全に生き、命を危険から守るために、安全が確認できたことばかりをくりかえすことです。
そして、未経験のことや、以前に経験した危険なことは極力さけ、あらたに挑戦しない、という本能です。
その危機を回避をする力を、「危機回避能力」といい、その力を最大限に発揮しなければならないときに、私たちは「恐怖」を感じるのです。
この仕組みは、人間が生きていく上で大切なしくみですが、現代ではすべての場面において必ずしも正解とはならないのです。
その証拠に、演奏中に命の危険がおよぶことは、全くと言っていいほどないのです。
そうです。「思考」を選べば、恐怖を感じながら危機回避能力を発揮する必要はないのです。
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