最初にお断りします。
わたしはピアノのブランドにあまり好き嫌いがありません。
SteinwayもBösendorferもYAMAHAもKAWAIもその他のピアノも全部好きです。
それぞれの会社のピアノがそれぞれの魅力を持っていて、弾くたびに、その会社のピアノ製作者の気持ちが伝わってきて、彼らが「聴いてほしいと思う音」に対する想いが伝わってきて、嬉しい気持ちになるからです。
話は飛びますが、私は、納豆が大好きです。
もし、地球最後の日が来てしまったなら、最後の晩餐は納豆を食べるつもりです(笑)
しかし、納豆にも好みがあります。
豆にあまり味のないもの、若干の苦味を伴うもの、甘みやうまみを感じるもの、ネバが強いもの、ネバが弱いもの、タレが納豆を調味し直してしまうくらいタレの味が強いもの、タレが美味しいもの、塩で食べてはじめて旨みを感じる納豆、豆の味とネバの強さのバランス、豆の香り、ネバの香りなど、納豆について語りだすと終わりませんので、ピアノに戻ります。
そういうすべての納豆が好きなのとと同じように、ピアノが好きなのです。
でも、好みはあります。
選んでいいと言われたら、その日の気分や場所に合わせて納豆やピアノも選びたいのです。
そう、題名にあるように、私は、Steinwayのピアノが大好きです。
Steinwayがの魅力について、自分なりに考えをまとめたいと思いました。
(いつか納豆についてもまとめてみます。)
まとめたいと考え始めて、すでに3日くらい経っています。
魅力を文章にするのが難しいのです。
それでも、拙い文章力でなんとか書いてみます。
Steinwayは、ホールで聴く時、絶妙のバランスで音楽を奏でてくれます。
それが静かな曲である時には、響きの柔らかい音の連続を柔らかいまま、音の減衰という物理法則を乗り越えたかのように遠くまで美しく響かせてくれます。
それは不思議ば感覚で、柔らかい音が、柔らかいままホールの隅々まで跳んでいき、ゆっくりと着地する感覚です。
逆に、雷鳴のように轟く低音の連打や、中音、次高音、高音の折り重なるような大曲、ピアニストが勝負するようなハードな局面で、通常ならば響きが濁ったり、響きが飽和してしまい、濁りに抗えない時も、スタインウェイはなぜか、ハーモニーが音楽を過不足ない理想的なバランスで豊潤に支え、音楽の一番核となる次高音部をはっきりと、中音部は豊かに、高音部は華やかに、まるで強固な建造物のように、たくさんのメロディーとハーモニーを調和させて、スッキリと、それでいてドラマティックに鳴らしてくれるのです。
ややもすると、そういうシーンでは、音が濁りがちになり、弾いている本人も、しょうがない、音も多いし、残響もあるし、ペダルもこれ以上のコントロールは難しいし、こんなもんだろ」と諦める場合も、スタインウェイは響きが溢れすぎず、しかし、一定のコントラストは常に維持しつつ、なおかつ破綻することのない爆発力すら持っているのです。
一方で、他のブランドの同じサイズのピアノを並べて弾く時、個体にもよりますが、スタインウェイは少しだけそっけなく聴こえることもあるのです。
これは、最初あまり意味が分かりませんでした。
しかし自分の年齢が30代を超え、いろんなピアノを弾くうちに、あることに気づきました。
ものすごく大雑把にいうと、ピアノには、弾いているピアニストやピアノの近くにいる人に向けて、うっとりさせるような余韻作りやターゲットを絞った音作りをしているものや、逆に、とにかく遠くに(ホールなどで聴衆に向けて)美しく音楽をしっかりと確実に運ぶもの、その中間に位置するものなど、いろんな特徴のあるピアノがあるということです。
(あまりにも単純化しすぎていて乱暴ですが、細かく書くと収拾がつかないので、この辺のお話はいつか深く掘り下げます。)
そして、ブランドごとの持つ傾向や考えをよく理解している優れたピアノ技術者は、そのピアノの特徴をさらに伸ばしたり、逆にセーブしながら他の要素に割り当てたりすることができるのです。
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