画像は新版の「べートーヴェンの手紙」です。

ベートーヴェンの手紙の中から抜粋で面白いものを抜き出してあります。

この本を読むと、神格化された我々の手の届かない歴史上の偉人ではなく、1人の迷える人間、音楽家としての泥臭いベートーヴェンの一喜一憂に触れることができます。

SNSもネットすらない時代ですから、人と人の心を通じさせるのに手紙というものすごく時間のかかる伝達手段に思いを込めて書いてあります。

それだけでも、人に心を込めて何かを伝えることの大切さに気づかせてくれます。

本来、ベートーヴェンの時代の音楽は、手紙のようなものです。

時間を切り取り、額縁に収めたような、濃縮され、無駄を省き、研ぎ澄まされたた文章と同じく、曲の中に、新鮮で、生き生きとした情熱の宿る「時間」を切り取った想念の集まりのようなものなのです。

最近では携帯を手に取れば、一瞬にして4K動画が撮れます。

その、完璧だけどありがたみのない動画ではなく、隅々まで正確に聴き取ることで、そこにベートーヴェンのリアルな現実が湧いて出て、その中にに織り込まれた時を超えた想いを、演奏者が感じ、人に伝える、という曲の捉え方が、現代人は難しくなっているのだなぁと思います。

それだけに、原点に立ち返り、LINEではなく、人に手紙を書いてみるのも良い経験になると思います。

大切な情報と、伝えたい内容、必要か不要かを常に考え吟味しないと、手紙も音楽も伝える力が拙くなってしまうのです。

「上巻」から、エッセンスをご紹介します。

ベートーヴェンの親友で幼馴染でもあり医師だったヴェーゲラーに宛てた1801年6月29日の手紙より、

(翻訳を林田風に意訳して書きます。多少の誇張、省略はご愛嬌で。)

僕は惨めだ、僕は耳が聞こえませんとはとてもじゃないけど人には言えない。

音楽界に僕の足を引っ張る人たちが何人もいるけど、耳が聞こえないなんて言ったら、その人たちはなんと言って騒ぐか考えただけでも恐ろしいよ。

どう聞こえないかというと、劇場でオーケストラのものすごく近いところに座らないと、歌手のセリフが聞こえないんだ。

楽器や高い歌声は少し離れるともう聞こえないんだ。

僕が人と話している時、僕が聞こえないことに気がつかない人が多いのにはびっくりだよ。

僕はうっかり屋さんだから、そう思ってるみたいだよ。

低い声はたいていほとんど聞こえないんだ。なんとなく声は聞こえるけど言葉として判別できないんだ。

〜 

この状態が続くようだったら来春君の近くに引っ越して百姓仕事でもすることにするよ。

一軒家を借りておりてくれないか?

実際の文章よりも崩してフランクに書いて見ましたが、こんな感じでベートーヴェンの時代に自分が生きていたかのようななんともいえないワクワクする気持ちになれます。

是非読んでみませんか?

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